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マルチな「ちから」を求める教育は必要か

最近は書店のベストセラーなどをはじめ、あらゆるところで「何々力(りょく)」をいう言葉を耳にすることが多くなりました。かつてからおなじみのものなら「集中力」や「コミュニケーション力」など多くのものがありますが、わりと最近のものでは「鈍感力」など、ややニッチな「ちから」が話題となることもあります。これらを見ると人間にはずいぶんと「マルチ」な力が必要とされるんだな、と感じてしまいます。しかしながら、このようなマルチな力を備えた人が果たしているのでしょうか。歴史上で大きな偉業をなしとげた人物を浮かべても、万能というよりは欠点ともいえる個性を持っていた人も多いように感じます。教育という観点からいえば、現在の子どもたちは親そして学校の先生などから、多くのオーダーをされている傾向にあります。学力・体力・人間性それらを伸ばすことに協力し導いてあげることは必要ですが、完全無欠の人間をつくりあげることは、しょせんは無理があります。一人ひとりの欠点や弱点を補うためには、他者の存在が不可欠です。一人完結ではなく、他者と協力しあい補いあって同じ目的に向かって進んでいく。その前提に立った教育こそが一人ひとりを尊重した教育であり、しいては社会の中に出ていける能力をはぐくんでいけるものだと感じます。

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